ブリジット・ライリーの憂鬱 理山貞二
あまり長く見つめない方がいい。
おそらく今のそれは半透明な円で、かすかな色を帯びて、重なり合った歯車のように回っているはずだ。色といっても、ベンハムの独楽のように何色とも言い難く、その色をどう表現するか考え続けたために狂気に追いやられた人までいる。
長年つきあってきたおかげで、それのことは良く知っている。主観色と言うのだそうだ。
それはどこにでもいる。一種の生物のようでいて、しかし僕たちの知っているどんな生き物とも違って、直線と弧だけで構成されている。定規とコンパスのみで作図されたような姿と形。三次元の実体を持つのか、まったく厚みなど持たないのか、あるいは四次元的存在なのかはわからない。ともかくそれは、自らと同じく直線で構成された都市を好んで住処とする。ブラインドやシャッターの水平線、壁の幾何学模様、虎が密林に隠れるように、それは街の風景に巧みに潜み、不意を突いて姿を現す。ものの形のなかから、突然に輪郭を持って眼前に立ち塞がる。
長年つきあってきたおかげで、それのことは良く知っている。主観的輪郭と言うのだそうだ。
それは何もしない。けれども激しい頭痛を引き起こす。それを見続けたために、自殺した作家を知っている。
割れそうな頭を抱え、こめかみを押さえ、けれども目を逸らさずに思う。人間が頭痛を起こすのは、これとともに生きてきたからではないのかと。人間が直線や円弧を思い描き、造り出すことができるのは、これを間近に見ていたからではないのかと。人間が都市を築き、幾何学図形で視界を埋めていくのは、これと暮らし、あるいは隠すためではないのかと。
長年つきあってきたおかげで、これのことは良く知っている。主観、主観、すべては主観に過ぎない。けれども目を逸らさずに確信する。いま見ているこの生き物こそが、僕の主観の実体だということを。
理山貞二
小説を書く会社員。
写真に触発されて書くことができました。